ありがとう 客船(唐桑航路定期船)!

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 気仙沼に帰省した際、唐桑出身の親父さんが徐に、

 廃止された唐桑定期航路のさよなら乗船会に参加した際手にした、

 「ありがとう 客船」の書かれた紙を私に見せてくれた・・・

 http://www.sanriku-kahoku.com/news/2007_04/k/070403k-fune.html


 唐桑で、親父さんやお袋さんが苦労した話を散々聞かされていたので・・・

 感慨深いものがあったのだろう・・・

 私にこの「ありがとう 客船」を、

 ブログに載せて貰いたいと言う気持ちが有ったのかもしれない・・・




   「ありがとう 客船」



  いつから動きはじめたのだろう

  地方に焼玉エンジンが取り入れられた頃か

  街からの買物が多くなった頃か

  生徒が学校に通い始めた頃か

  病気の人が病院に通うようになってからか

  長い長い間、気仙沼との架け橋だった


  むかしの客船は塩や米も運び

  魚や酒もはこんだし

  薪用の棚木も運んだ
  
  何よりも今までたくさんの人を運んだ


  新入生も卒業生も運んだし

  勤めに行く人もお嫁に行く人も運んだ

  入院する人も退院する人も運んだし

  出征する人も、

  そして戦死した兵隊さんの遺骨もはこんだ


  あるときは機関の故障で漂流したり

  あるときは競争を挑んだ生徒たちのカッターの曳航もした。


  船内が混む時は生徒は外に立たされ

  船尾には客がびっしりと立った

  漁船の追い波を被るたびに

  舷側の女学生は奇声をあげた


  ある船の船室は長老を中心に話題が豊富で

  ある船では将棋指しがにぎやかだった

  ある船は読書家が一時間近くも読みふけり

  どの船もおもての船室から笑い声が絶えなかった


  船の中では沖の漁船の漁模様や

  どこかの家庭事情や
 
  街の商品のことなどなど

  さまざまな情報が聞ける場であった


  運賃取りのおばちゃんの顔

  船長のおんちゃんの顔

  機関長のおんちゃんの汚れた顔

  懐かしい顔がどの船にもいた


  客船はあと終わりという

  車社会から要らないといわれたのか

  お客からもういいよといわれたのか


  舞根に寄ったことも

  外浜に寄ったことも

  鶴が浦に寄ったことも

  みんな思い出の中

  あの宿浦航路は既にないという

  あのざわめきも笑い声も既にないという


  客船がなくなると困る人がまだいるのに

  バスや車はだめという人もいるのに

  あの小鯖航路も

  あの鮪立航路も

  もうなくなる


  客船がなくなると

  唐桑と気仙沼の架け橋が消える

  海の孤島になるという人もいる

  大きな時の流れ

  その流れの中で今日 長い歴史を閉じる


  ありがとう

  ありがとう 客船

  ごくろうさま

  ご苦労さまでした 客船

  みんなのたくさんの思い出を載せた客船

  みんなにたくさんの思い出をくれた客船


  ありがとう 客船
  
  ご苦労さまでした 客船


                      二〇〇七年四月一日  唐桑ふるさと会



 

 (推敲しなくてはいけない所もあるでしょうが、紙に書かれた物をそのまま載せました・・・)